「たまらび悠」(たましん・多摩らいふ倶楽部会雑誌)の2020年10月号に「御殿峠古道」と「絹の道」の話が掲載されました

八王子日本遺産は、ダイナミックな歴史古街道に記憶された素晴らしきストーリーを再生させることで、広範囲な地域間をつなぐことを可能にする!!

小田原北条氏の「滝山城と小田原城を結ぶ軍事大街道」であり、武田信玄が2万の大軍勢で通過した戦国時代の大幹線道路「御殿峠古道(ごてんとうげこどう)」。

関東最大級の中世幹線道路遺跡は、今も町田市と八王子市の境目に現存している!!――

 

国道16号の原型にあたるこの街道の痕跡が、八王子市のJR片倉駅の南側の峠付近で、町田市の相原地区に属する森の中に約1.5キロMに渡って奇跡的にその雄姿を遺し留めていることを知る人は今やほとんどいない。

 

それは明治18年から30年頃の間に新道(旧小田原道)ができて古道が寸断され、廃道となって人々の記憶から忘れ去られてきたことの上に、現代では、目新しいものばかりに関心が集まり、地方の歴史価値を知る機会が大きく喪失してきたからなのかも知れない。


初めて「古道の研究会=古街道帥人会」で御殿峠古道を取り上げたのは1987年頃だったが、以来、主宰する複数の研究会活動で50回以上の現地探索会を実施してきたことになる。当時すでに無名の城砦跡を頂上付近で確認し、また4回以上の変遷を経た峠越の道がさらに複線構造をもって関東最大級の古街道(掘割状道路跡の最大幅は12Mもある!)となっていることが判明しているのだが、保存や活用など、それを進める術も見つからないままになっている。 
以来年々増加する乱開発に少しずつ削られながらも、何とかその根幹たる姿を留め遺してきた御殿峠古道。平安時代の古代窯跡群の工人たちが往来する古い地方道に始まり、鎌倉街道の一つとなり、戦国時代の政治・軍事の主幹線となり、生糸が横浜に運ばれる生糸街道となり、武相困民党も終結した当時のままの様相でパックされているのだ。


この奇跡の古街道跡は、いま、ようやく日本遺産に認定された八王子を応援する様々な分野のエキスパートが集まるチームによって再び探索され機会を得ることができた。
この機会をきっかけに、「多摩丘陵の12古街道」の一つとして、八王子市と町田市の自治体と市民が中心となってこの歴史遺産の存在意義を認識し連携して未来へ遺し伝えることができたならどんなに意義深いことだろう。それは、今まさにラストチャンスが身近に迫っているからこその願いなのである。

   

(歴史古街道研究家 宮田太郎)2020年10月5日